第2歴代誌24章15〜22節

「祭司エホヤダの働き」

 

 王の母であったアタルヤは、すべての権力を手に入れようとして王位継承権のある者たちを皆殺しにした。幼いヨアシュ王子も殺されそうになったが、祭司エホヤダが乳母と共に神殿の寝具室に隠したことで助かった。エホヤダはヨアシュを匿いながら育て、7年後、ヨアシュを王にすることに成功した。

 エホヤダの行動は女王アタルヤへの反逆であり、見つかれば即死刑であった。この姿から“神様に従うことは、時に世の権力と戦うことになる”と教えられる。しかし、エホヤダは死と隣合わせの状況でも、ほほえみを失わなかったのではないか。エホヤダは主に従う喜びを示したことで、ヨアシュ王はエホヤダに倣う者として成長した。

 暗く重苦しい状況であっても、微笑んで楽しい時を過ごすことができるのは、“神様が生きておられる”という希望があるからである。神様は今も生きておられ、自分の状況を知っていてくださる。神様は神様に従う人々を見捨てることはない。神様の存在が希望となり、生きる力となり微笑みとなる。

 さてヨアシュ王は、祭司エホヤダが生きている時はエホヤダの声に従った。しかしエホヤダがいなくなると別の声に誘われ、かんたんに神様を捨てて偶像礼拝に走ってしまう。神様は預言者を遣わして忠告するが、ヨアシュは耳を傾けない。ついに、命の恩人であったエホヤダの子どもを手にかけて殺してしまう。

 ヨアシュ王には、自分の意思が感じられない。まわりの声に流されやすい人物だったのかもしれない。ヨアシュの振る舞いから、“自分の意思で神様に従うことを選び取る”ことが、いかに重要であるかを教えられる。

 確かに私たちは、信仰告白を「我は信ず」=“私は”信じますと告白する。しかしその告白は孤立したものではなく、その背後には「天にまします我らの父よ」と祈る教会の存在がある。神様に従う道を選び取る時、そこに神様の希望があり、神の家族の交わりがある。